Beyond Lifehacking

ライフハックを超えて、本質的に人生を良いものにするために

MacとiPad

ここ2年ぐらいは、めっきりPCを使う時間が減りました。

普段から、XなどのSNSとか、ブログなどを読んでいますが、基本的にスマホ(iPhone)かiPadで読んでいて、パソコンを使うことはほとんどありません。

動画を編集して公開する、など、ちょっと作業負荷の高いクリエイティブな活動をしないことが、PCを使わなくなった一番の理由です。しかも、外出先でいつでもどこでも即座にネットに繋がる、画面は小さくてもそれなりに楽しめる、のでますますPCを持ち運ばなくなり、使わなくなったのです。

コンテンツ消費ならiPad

ブログを読んだり、Xに流れる自分の興味のある情報を眺めたり、YouTubeを見たり、Instagramで推しの写真を楽しむなど、コンテンツを消費するだけではなく、それら情報をコピーして整理する、いわゆるコンテンツを参照して編集するまでの行為が、iPadで手軽にできます。これは相当にパワフルです。

いい歳してアイドルの推し活を楽しんでいますが、SNSやブログなどで流通しているアイドルの写真を一旦「写真アプリ」に保存し、NotionやObsidian、Logseqなどの情報処理ツールを使うと、推し活での情報を一覧性よく、手軽に、綺麗に整理することができます。情報を収集して、自分の好きな形にまとめることが簡単にできるので、iPadはとても便利です。

ブログの写真を単純に保存する場合、iPadではその写真を長押しタップして、メニューから「写真に保存する」を選択するだけで済みますが、PCだとリンク先に飛ばされたり、保存するメニューが出なかったり、一手間かかることが多いです。わざわざ選択範囲をキャプチャするのはあり得ないですよね。

上記のことは、営利目的に使用してしまっては著作権の問題がありますが、個人的に楽しむだけなら問題ありません。そんなライトな情報処理をする上で、iPadは非常に良くできたハードウェアであり、柔軟性に優れていて使いやすいiPad OSがそれを支えています。

このように、毎日すごい勢いで流れ去っていくコンテンツを消費し、楽しみ、手軽に自分のコレクションに加えることができて、後でも楽しむことができるようにアプリで情報を整理することができる。PCを使わなくても、iPadだけで完結できます。同じことはスマホでも可能ですが、画面の大きさが作業性に影響を及ぼします。iPadは作業しやすくて、楽しむ時は画面が大きくて綺麗なので没入しやすく、より深く楽しめます。コンテンツの画像の解像度が上がっているので、画面の大きさの恩恵はなおさらです。

コンテンツを作る道具としては?

日記を書いたり、頭の中にある情報だけで文章を書くぐらいなら、iPadで十分に対応できます。もうPCは必要ありません。アプリケーションも充実しています。 しかも、シングルタスクなので、集中しやすく、邪魔が入りません。

エッセイ的なブログを書くだけなら、iPadで十分です。というより、PCまでのパワーを必要としません。もう、普通のPCは一般人には持て余すぐらいのパワーを持っています。軽自動車で十分なのにも関わらず、大型車を乗り回しているようなものです。

TPOはどの世界にもあるものでしょう。

では、もうPCは要らないか?といえば、まだそこまでではないです。

さまざまな情報を参照しながら、説明を組み立てて文章を書こうとすると、iPad Proの12.9インチの広大な画面でも不足します。大きなディスプレイで、同時に複数の情報を見ながら、何かを書く、説明するという作業を進めるには、PCとその広大なディスプレイ環境があった方が快適です。さらには、今書いている文章を少し広い範囲で確認をしつつ、文章を書き進める作業が容易になります。

ゴールが決まっていて、そこまで一直線上に作業を進めていくような、「単線」的な作業は、iPadで十分に対応ができます。

ゴールも定かではなく、様々な完璧ではない、断片的な情報を拾い集め、考えて何かをする作業や、同時並行多発的に、「複線」的な作業を進めたい時は、作業空間の広さが必要で、PCに軍配が上がります。もはや、PCのメリットはディスプレイを拡張することによる作業空間の自由度、にあるのではないかと思います。

かつてはCPUやGPUなどのプロセッサの処理能力が、タブレットとPCの違いだったのですが、今やM2チップを普通にiPad Proに搭載する時代です。処理能力の違いによりデバイスを選択するという理由は無くなりました。

処理能力よりも、どのように使うのか?が問題となったわけです。

個人でPCは必要か?

PCをどのように使うのか?を考慮すると、Knowledge Worker(知識労働者)はまだPCが必要なケースは存在するが、知識労働者のプライベートなシーンではPCが必要な機会はどんどん減っていくように思われます。

実際に、この1年間、M1 Macbookを使用する時間は格段に減少しました。

生活を送る上で、スマホは必須ですが、これにPCではなく、iPadのようなタブレットがあれば不自由はありません。プリンタはもう随分前に不要になりましたね。

かつてのようなPCの周辺機器は必要なくなりました。2000年の前半に、MacをDegital Hubにする、という構想がありました(懐かしいですね)。でももうそんな必要はありません。ネット上のサービスを利用してリンク・シンクできます。

HDDなどの外部記録デバイスも必然性は薄らぎました。クラウド上のサービス(Drop BoxとかOneDriveとか)を利用すればいいし、増え続ける写真データであっても、iCloudなりGoogleフォトなどでお金を払いさえすれば、いくらでも安心して保存できます。データのバックアップのバックアップ、なんて死語ですね。

全てをクラウド上に保存しているなら、スマホタブレット、あるいはChromebookなどで十分です。高性能なPCを持つ必要はないでしょう。

何をしたいのか?

まだまだ、PCでないとできないこと、生産性が低いことは存在します。しかし、それをどこまで日常的にやりたいのか、その必要性があるのか?ということなのです。

PCのコストは随分と下がりましたから、スマホに比べるとあまりコスパを考えなくても良いのですが、狭い日本の住宅にそれなりの大きさのものを設置するわけですから、スペースに対するパフォーマンスは考えるべきでしょう。それから、ノートPCのように可搬性も。

私の場合は、仕事でも、プライベートでも、手書きのノートやタイピングによるテキスト情報、たまにスマホで撮影する写真ぐらいしか扱わないし、ゲームもしないので、高性能なPCを必要とはしません。動画編集をほとんどしないので、快適なタイピング環境が得られればそれで十分。

たまに外部ディスプレイに接続して、広い作業領域で様々な情報にアクセスしながら、ブログを書くなどのアウトプットができればいいので、iPad OSが進化すればiPadスマホだけで良いように思います。ただ実際はそこまで割り切ることができなくて、ちょっと経済的な余裕を感じると、New Machineを買いたいなという物欲と戦うことになります。

目下は、スマホを新しくするか?という問題です。 ただいま使用しているスマホは、iPhone 11 Pro Max。性能に不満はありません。もっと綺麗な写真や動画が撮れれば面白いとは思いますが、その撮影した動画とか写真を編集するか?となると忙しさにかまけて、何もしないで未処理のデータの山が増えてしまうだけのように思います。

というわけで、ガジェット系が好きだと、いつまでも物欲と、もっと上手くできるかも?の根拠のない期待と戦わなくてはなりません。趣味というよりは、悪癖のように思います。