Beyond Lifehacking

ライフハックを超えて、本質的に人生を良いものにするために

スピードを意識することによる弊害

仕事にしても、プライベートにしても、何かやるべきこと、やらないとまずいこと、いわゆる「タスク」というものを実行するとき、普通はスピードを意識する。

このスピードには2種類あって、

  1. 実行時間を短くするスピード
  2. タスクが発生してから取り掛かるまでのスピード

が存在する。

良く、あの人は仕事が早いね、といい意味で評判になるのは、両方とも期待以上の速度で対応してくれる時だ。

文字通り、そのタスクの実行速度が速いことだけでなくて、取り掛かりも早いことが必須だということ。速くて、早い、だ。

今ここでやらなければいけないこと以外は無駄

常にタスクに溢れかえっていて、やることがたくさんあると、新しいタスクが発生しても、取り掛かるまでの道のりが長かったりする。

それは単に優先順位づけができていないからではない。

やることが多いと嘆いている人の大半は、無駄なことをたくさんやっているだけだ。

無駄と言っても、ちょっと意味が違う。その時にやるべきことだったのか?という問いに答えられるかということである。

1時間後にやればいいことを、今、ここで、やる必要はない。それ以外の、今、ここで、やるべきことをやらなければならない。

1時間後にやればいいという状況があったとして、50分後にそれをやる必要性がなくなる可能性もあるし、路線変更しなければならなくなる可能性もある。もっと重要な案件が発生して、30分遅らせて実行した方が良い場合もある。

私たちは、未来に生きているのではない。今、ここ、という瞬間に生きていて、未来を生きることはできない。もちろん、過去にも。

今ここでやらなければいけないことがない時

なので、別に今何もする必要はない、というケースだってある。

そんな時は、したくてもなかなか時間がとれなくてできなかったことをやればいい。SNSを見たり、YouTubeを見たり、俗にいう暇つぶしとするのではない。やりたくてもできなかったことを、今、ここで、やるべきことが何もない時にやる。

無駄は有害であり、迷惑

コレだけのことを意識するだけで、時間の使い方は随分と変わってくる。

あれこれと量を追い求めているうちは、本質が見えていない。無駄な努力は、無駄なのではなく、有害なのだ。無駄な行為は、迷惑なのだ。

闇雲に仕事を増やす人は、お引き取り願いたい。私は、余計な事をして、Magic PointもHit Pointも浪費したくないのです。

スピードが上がると周囲の景色は流れ去っていく

さて、スピードを上げることを実践していくと、高速道路を走っている時に景色が後方に流れ去っていくように、実行したタスクはどんどん後方へと流れ去っていく。1日の終わりには、今日は何を成し遂げたのだろう?とわからなくなってしまう時もある。

スピードが上がるということは、必然的に処理できている量が増えるということになるが、流れ去ってしまうと、振り返りをしたり、フォローをしたりすることが難しくなりやすい。対処して、問題にはなっていないのだけれど、あれ、あの後どうなったんだっけ、と忘れてしまうこともあるし、そんなタスクを実施したことすら覚えていない、などということに至ってしまいやすい。

流れ去る現象への対処方法

一つの対処方法として、メールの送信履歴を確認すること。仕事におけるOutputはメールなどによる報告・連絡で行われることが多い。なので、送信履歴がそっくりそのまま自分のOutputの履歴になる。

もう一つの対処方法は、面倒だけれども、記録を残すことだ。ノートに書くでもいいし、タスク管理ツールにメモを添付して、タスクが完了したという状態を反映させるだけでなく、メモによる記録も残しておく。さらに、検索しやすいように工夫するといい。

数日、あるいは数週間後には、そのタスクのことなど忘れてしまっている。忘れないにしても、詳細まで思い出せなくなってしまっている。でも、検索できるようにしておけば、ずっと覚えておかなくても、なんとかなる。大事には至らない。

スピードを意識するのは悪いことではないが、それだと支障をきたす場合がある。

なので、合わせて記録を残す工夫も同時に行うといい。最終的に、事後の管理の手間を省くことができ、振り返る際の時短に貢献するし、派生するタスクが発生した時に経緯を思い出しやすくなるメリットがある。記録をとるのは面倒なことだ。でも、これこそ「急がば回れ」に相当するものだと思うのです。