Beyond Lifehacking

ライフハックを超えて、本質的に人生を良いものにするために

自ら変化するという意思決定

私は、同年代の他の人と比べると、おそらく、変化に対する許容度が高いと思う。
いや、むしろ変化を選好している、といってもいいかもしれない。

それが端的に現れているのが転職の回数。 これまで4回転職しています。現職が、5社目。

修士号を取得して25歳から働き始めたから、もう26年が経過しているので、平均すると5年ごとに転職していることになります。 ただ、現職は10年目に突入していて、来年には10周年になってしまいます。これまでで最長です。

自分がやりたい仕事をしていて、達成感があり、将来性が有望ならば、継続した方が楽です。
転職は負担が多く、無駄になることも多いので、かなり精神的に厳しい時があります。
その一方で、強制的にUnlearnすることになるので、いま流行りのリスキリングそのものの行為が強制されることになり、変化の激しい現代において、「働かない(働けない)おじさん」化するリスクを低減することもできます。しかし、私にとっては、新しいこと、変化が大変好きなので、これらのことは脅威とは感じません。

ジョブローテーションという日本的な知恵

この前の投稿で、「tirrano.net」という記事を書きましたが、それから2ヶ月近くが経過して、気持ちが大きく変化しているのを実感します。

ちょっと長く同じような環境に身を置いてしまったかな、と反省していますし、そして 何よりもやたらと「責任感」のようなものを背負い過ぎてしまっている、と感じます。
それ自体は決して悪いことではないかもしれませんが、冷静に第三者的な視点で見てみると、「他人の価値基準に影響された自己満足」であり、「自己欺瞞」であることに気がつきました。
「自分が心からやりたいこと」とイコールでない、外側からの責任感であり、自分の役割に押し付けられている価値観であり、自己欺瞞であることが問題なのです。

言い換えると、「こうあるべき」というビジネス上の結論は、「こうありたい」という自分の目的意識と乖離していているのです。
同じような仕事を続けているとその仕事の論理がどんどん増殖します。そのことで仕事の効率やスピードが向上するのですが、その一方でその論理に侵食されてしまいます。トレードオフの関係であり、自身の精神を差し出すことにより見返りを得るような、人心供与に近いものです。

定期的にジョブローテーションがある環境では、特定の「仕事の論理」に侵されてしまう前に、仕事の内容が強制的に変わります。
日本人というのは生真面目さがありますので、どうしても「仕事の論理」の奴隷に陥りやすい。狭い世界の理(ことわり)の住人になってしまいやすいものです。それを避けるため、伝統的な日本の大企業ではジョブローテーションという仕組みがあります。
今の歳になって思うのは、ジョブローテーションというのは日本人にとって非常に上手な仕組みだな、ということ。優れた知恵に、感服します。私は、 かつて「ジョブローテーション」というのは日本的経営の短所だと思っていたのです。浅はかだった、としか思えません。

人生を変えるには

ジョブローテーションという仕組みのない欧米企業では、自分から仕事を変えるか、転職をすることで、「仕事の論理」に侵されないようにする防御体制を構築しています。

私が、「仕事の論理」に侵されてヤバい状況になりつつあると客観的に感じることができたのは、ひとえに生活環境が変化したからです。それが、気持ちの変化へとつながり、気づきを得ることができたのです。

人生を変えるための方法論としてよく語られているのは、

  1. つきあう人を変える
  2. 住む場所を変える
  3. 仕事を変える

の3つですが、昨年の夏に2を変えました。それにより、確かに人生の歯車は異なる回転を始めました。

考えが変わったことで、さらに3を重ねることを考え始めています。

この二つの変化は、外から来たのではなく、自分の内からの考え、判断により、実行したことです。自発的に生み出す変化なのです。

年齢という側面はあるけれども

51歳という年齢からくる不安がないわけではありません。
逃げ切りを狙った方が楽だろうというのも、わかります。 インセンティブでもらった優先株の権利も失いますし、持株会での投資についても不利益を被るかもしれません。仕事的に「楽」かもしれません。

でも、やはり一度きりの人生だからこそ、「やっちまった後悔」がしたいです。