Beyond Lifehacking

ライフハックを超えて、本質的に人生を良いものにするために

ほろ苦い思い出が存在しない理由

今週のお題「ほろ苦い思い出」

ほろ苦い思い出、というと、青春の頃とか、思春期の頃とか、どうしても10代後半、20歳前後の頃の話になってしまう。

娘がその年頃で、オヤジはというとほろ苦いではなく、「イタイ」という言葉の方が似合ってくる。

ほろ苦いとは?

そもそも子どもは苦いものが苦手だ。好きなはずがない。 初めてニガウリを食べさせられた時、その時はまだゴーヤなどという言葉は流通してなかった、こんなもの食えるか!となった。 今や、ゴーヤチャンプルーは大好物だ。泡盛がすすむ。

大学1年生(もちろん未成年)で、同級生で集まって様々な種類のビールを買い集め、飲み比べをした時、ヱビスビールはとても飲めなかった。強烈に苦かったから。
今や、泣く子も黙るプレミアムビールとして、お金に余裕があれば飲みたいビールの一番手。

でもなぜかブラックコーヒーにハマるのは早かった。高校生受験の頃には普通に飲んでた。
コーヒーがなかったら、大学生になれなかった、、、というのは言い過ぎか。

っていう感じで、普通子どもは苦いものを食べたり、飲んだりしない。
だから、ほろ苦さを快感に感じ始める年頃に経験した、ちょっと切ない思い出、だからほろ苦いのだろう。

昔を振り返らないから

基本的に、昔を懐かしんだりしないし、思い出に浸ることも少ないので、「ほろ苦い思い出」を覚えていない。 基本、どんどん忘れていく。いい思い出だけ欲しい、という、厄介な、いや、メンドクサイ、オヤジだ。

よく、オヤジは、昔の武勇伝をさも自慢げに話したがる、というが、私はそうではない。 過去のことなんて話したって、どうにもならないから、話さない。そんなタイプです。

失敗はたくさんしたけど、引きずらないな。それに、笑い話に変えるようにしている。
だから、甘酸っぱい思い出とか、ほろ苦い思い出なんて、語るようなものはない。

今が、残りの人生の中で一番若いんだし、変えることができるのは今だけ。
なので、過去のことは興味も関心もないです。